片桐大史「ギリシアに還れ」5
蛙石本部長は「要求書」を読み終えると、柏倉警察庁長官に電話で内容を報告した後、大きくため息をついて尻を椅子の前の方にずらし、両脚をドタッと机の上に投げ出して、ポケットからマイルドセブンを取り出した。ライターで火をつけて深々と息を吸い込むと、天井を仰いでふうと煙りを吐き出しながら、周りの部下たちに聞こえるように「こりゃあ、おれたちの手におえんなぁ。総理大臣が相手じゃ、どうにもできん。指令があるまで、対策本部は当分開店休業たい」と言った。
人質事件に対して警察当局が強硬手段をとる場合、緊急に対処しなければ人質が危ないという情況がなければならない。対策本部はこの間にも、ホテルの従業員や宿泊客とこまめに連絡をとって情報を集めているのだが、今すぐ手を打たなければならないような緊迫した様子はなかった。「まあ、じっくりやるさ」と、部長はこぼすのだった。
しばらくして、柏倉長官から電話が入った。「要求書」に書いてある「国民投票」と「国民投票に関する法律」の内容がどんなものか、調べてくれ、というものだった。早速、波多江巡査が浅井に問い合わせたら、柳橋の片桐書店に行って「浅井が頼んだ本」と言えばわかるということだった。
福岡市中央区春吉一丁目に柳橋連合市場がある。幅2メートルほどの路地をはさんで、鮮魚、肉屋、野菜、果物などの生鮮食料品店や雑貨屋が軒を並べている。昔から、材料の新鮮さと値段の安さが評判で、夕暮れ時になると狭い路地が買物客でいっぱいになるのだ。その路地の中ほどの右手に片桐書店がある。
戦後間もなく出店した当時は、この付近で唯一の本屋として繁盛したが、その後、近くに大型スーパーが進出して、そこの書籍売場が客をどんどん吸い上げるようになってから店は落目になり、今では新刊書といえば週刊誌と漫画雑誌くらいのもので、そのほかに子どもや学生相手に漫画本を貸し出して、どうにか暮しを立てているのだった。
この本屋に浅井正と名乗る中年の男がふらりと尋ねて来たのは8月初旬の暑い盛りであった。差し出された名刺には「福岡市博多区中呉服町2-7、北原産業(株)九州出張所長」と書いてある。ベージュ色の涼しそうなスーツに紺のシャツ、まっ白なネクタイをきちっと締めた精悍な感じのこの男は、額の汗をハンケチでぬぐいながら、「本の出版をお願いしたいのですが・・・」と切り出した。
主人は面喰(めんくら)って、
「ほう、そりゃまた、どげん事情で私んとこへ?」と、団子鼻からずり落ちそうな眼鏡越しにこの珍客を見ながら尋ねた。
主人は、なんやろう、この男、というような表情で、
(気まぐれで続く)



by mimashita
「40-32÷2=4」が正解だって?…