【第5部】 《国家のオーナー》が舵を取る
およそ《オーナー》たる者の条件は、経済市場で商売に従事して所得を稼ぎ出して生計を賄う「責任」と「実力」を備えているかどうかであり、これは《家庭のオーナー》でも、《企業のオーナー》でも、《国家のオーナー》でも同じことである。
政府が国家のオーナーたりえない理由は、公務員(議員と役人)が法律によって「生活保護」を受ける身分であり、自立収入基盤を持たず、おのれが采配を振る公務資金の収支損失に対して弁償責任を負わないからである。
しかるに、国民は長い歴史に於いてまるで政府が国家のオーナーであるかのように錯覚してきた。それは何故か。《政府》と《民業》が互いの《目的》と《任務》と《領域》について、これまで一度も明確な《概念》を描いたことがなく、互いの《境界線》をまったく知らないからである。
第1部において、政府と民業の役割を明確に区分して提示した意図はそこにある。民業というものはただ《商売》をしていればそれで良いものではない。《公共事業》にぶら下がって食っていればそれで良いものでもない。民業には「建国以来昨日まで片時も休まず国家の台所を賄ってきた実績と誇り」がある。そして今も1億2,600万人を養う国家のオーナーなのだ。国家のオーナーたる民業が政府を《監督》しなければ、ほかに一体誰が《監督》するのか。
「国民」が政府を監督するか?
それも良かろう。だが、“ぼんくら憲法”に「主権が国民に存する」と書いて威張ってみても、自立収入基盤を持たない乳幼児や生徒・学生や専業主婦や寝たきり老人や無職者(合計7,174万人=注1)には、政府を監督する実力も責任能力もない。
では、「有権者」が政府を監督するか?
それも良かろう。確かに有権者は選挙の度に議員と首長に1票を投じて来た。しかし、それで政府と自治体に何を命じたか?有権者が政府・自治体の首脳を直接呼びつけて何かを命じたことは、わが国の歴史において、一度もない。命令する実力も責任能力もない者に、監督が務まるわけがない。
行政府というものは《公務》に便乗して四六時中カネを徴収したり借金して使いまくる。立法府はその一々の公務を法律で裏書きするために毎年100本前後の議案を採択してきた。戦後60年で単純計算すると6千本だ。有権者はこれら膨大な数の議案のうちいったい何本をチェックしてきたか?
いくら“ぼんくら憲法”に「普通選挙を保障する」と書いて威張ってみても、4年置き・3年置きの衆・参議員選挙だけで有権者が議案をチェックできるはずもない。せいぜい適当な政党か議員を選んで「よきに計らえ」と言うしかない。有権者は実質上、いかなる監督権限も持たない「裸の王様」である。
そうすると結局、商売に従事して国民生活を賄う民業者5,940万人(注1)が《国家のオーナー》として監督責任を負うほかないのだ。このような民業の役割を自覚するとき、日本経団連、経済同友会、日本商工会議所の経済3団体の責任は重い。ただ単に政治献金と引き換えに、公共投資を増やしてくれとか不良債権を放棄してくれとか言って、いつまでも政府に依存しているようでは民業の自立も繁栄もないと知るべきである。
自由経済市場は民業がそこで商売を競う世界共有の舞台である。創意と工夫と努力によって無から有を生み出す場所、付加価値を生み出す場所、所得を生み出す場所、商いをする場所、稼ぐ場所、食べていく場所である。民業はそこに身銭を投入し、リスクを冒して競争する。そうして国民生活を賄っていくのだ。
世界の動向を眺めれば、ソ連が崩壊し、ベルリンの壁が崩壊し、東独も中国もポーランドもユーゴもベトナムもキューバも自由経済市場に向けて舵をとる。固定した体制やイデオロギーが次々と悠久の歴史の流れに呑み込まれていく。もともと市場というものは不自然を嫌う。経済状況を固定しようとする者を嫌う。不当な統制や規制を拒否する。
人の経済活動を川の流れにたとえれば、自由経済市場はさしずめ七つの海にあたるだろう。経済流域に政府がいくらブロックを築いても、川の水はこれを乗り越えて大海に流れ込む。いくら公務資本を投入しても、とうてい制御しきれるものではない。自然の流れに逆らって巨大な牙城を築く者はやがて巨大な水圧に押し流されて崩壊するのだ。
自由経済市場においては、民族も国家も独裁主義も共産主義も社会主義も民主主義でさえも特別待遇を受けることはない。自然の摂理に基いて資本が資本自らの論理でのびのびと活躍する世界である。インターネットが普及して情報とマネーが瞬時に世界を駆け巡り、輸送手段が発達して人と物資の移動が速くなれば、国境の壁が溶解するのも自然な成り行きである。政府の権威が低下して民業の権威が高まるのも歴史の趨勢というものだろう。
政府が市場に介入する時代はいずれ終わりを告げる。好むと好まざるとに拘わらず、終わらざるをえない。なぜなら、それは、自由でのびのびと行われるべき経済活動にとって極めて不自然な状態であるからだ。その昔、民業は政府を必要としなかったが、今また政府は民業の「お荷物」になってきた。重い荷物は軽くしなければならない。(おわり)


by mimashita
「40-32÷2=4」が正解だって?…