▼ 2010/01/31 日本経済新聞【私の履歴書】細川護煕No.30 ▼
前にある雑誌から頼まれて「私の死亡記事」というのを書いたことがある。それから時間もたったので少し書き改めて再掲する。
作陶、書、油絵などを幅広く手がけ、首相も務めたことのある細川護煕氏が先月20日、神奈川県湯河原町の自宅不東庵で老衰のため死去していたことが明らかになった。99歳だった。遺言により、葬儀や告別式は行われない。
細川氏は1938年、東京生まれ。上智大卒業後、朝日新聞記者を経て政界入りし、参院議員、熊本県知事、行革審部会長などを歴任。92年に自民党と社会党を中心とした55年体制の打破と規制緩和や地方分権による構造改革などを唱えて日本新党を旗揚げし、93年の衆院選後に8党会派の非自民連立政権の首班として第79代首相に就任、38年ぶりの政権交代を実現した。
首相在任中は政治改革、コメの市場開放などをやり遂げた。政権返り咲きを狙う自民党に佐川急便からの借入金問題などを追及され、連立政権内部の分裂などの動きも加わり、約8カ月で辞任。首相退陣後も政界再編に尽くし、98年に4党を合併させて今の民主党を立ち上げ、60歳で政界を引退した。
その後は「不東」と号し、アート三昧(ざんまい)の日々。生前に用意した自然石風の墓石には戒名もなく、「長居無用」とのみ刻んだが、長寿を続け、最近まで日本の政治の質の低下や構造改革の遅れを嘆いていたという。
真抜田(まぬけた)首相は、官邸で記者団に「ロマンを持ち、理想主義の旗を掲げた、日本では珍しい政治家だったのではないか。私が政治を志したのも細川さんの新党旗揚げに触発されてのことだった。ご冥福をお祈りします」と語った。
細川氏を悼む
凹凸大学長の出久能望(でくのぼう)さん(政治学)
時代の流れを読む目というか、政治的勘はなかなかのものだった。何でも行動がはやかったが、せっかちな言動に周囲が追いつけず、時に混乱をもたらした。権威主義、形式主義を嫌い勲章や叙勲の類を受けつけなかったのも細川氏らしいが、保守的な考え方の人たちにはなかなかその発想自体が理解されなかったのではないか。
陶芸家の部田空祖(へたくそ)さん
陶器において名を残すつもりはないと言いながら、楽、井戸、信楽などで器格のある、茶趣に富んだ作品を残した。書や油絵もたしなみ、文武両道の家風を受け継いだが、政治だけは轆轤(ろくろ)で回すようなわけにはいかないと話していたのを思い出す。
終わりに私の好きな英国の詩人、スティーブン・スペンダーの詩を掲げる。18年前、新党を立ち上げたとき、自ら墨書し、事務所に掛けたのもこの詩だった。
真に偉大だった人びとのことを私はいつも考える・・・。
生命のために生命をかけて闘った人びとの名前を、心の底に熱情の炎を燃やしていた人びとの名前を考える。
太陽から生まれた彼らは、太陽に向かってしばらく旅し、そのあとに彼らの名誉を示す生き生きとした風をのこした。
(元首相)


by matacyann
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